マーケティング分析

2015年3月4日ブログ

こんにちわ。遠距離通勤者です

 

今日は少し堅苦しいテーマです。

世の中、マーケティングの重要性が謳われていて、それに即したプロモーションを行いましょう、みたいなことを言うケースが多々あります

分析者が解析する様々な手法、手段は理論的な説明で、かつ象徴的な画像やグラフ等で表現され、それが受け手であるユーザー(学校)の広報担当者の心に響き渡ります

とはいえ、「マーケティング分析しなくてもあつまる学校」と「マーケティングして対策を取っても集まらない学校」があります。

特に後者の場合、マーケティング論者は「失敗した要因」「レアケースでの成功分析」みたいなことを考え、それを説明したりします。ただし、マーケティングって、失敗した際に、規模の小さい組織からすると、マーケティングで分析した結果が原因でないような気がするケースも多々。

 

マーケティングが軽んじられる問題の一つは、小組織の場合、丁寧なマーケティングを数年以上継続できないケースが多いからです。熟練の広報責任者の人生や仕事の経験則に基づいたプラン建がされるケースがあり、主にそれは過去の成功事例に裏付けされる部分が多く、その過去を発表することにより「周囲に同意を求める」「未来のプロジェクトを進行する」ことがあります。ただし、この進行の仕方には、責任者の「直感」に基づき変更される部分が多く、その正誤は周囲はわかりません。現場や業者と責任者の間での意思疎通がうまく行かなくなります。そういう方に対してなぜか意見のやり取りがスムーズにできる業者の担当者が出現すると、その業者は厚く重用されます。その時点でマーケティングによる分析を放棄して「責任者の経験値を上積み、裏付けをとり、更新していく」事を業者と進めるしかなくなります。この結果、学術的なマーケティングは否定され、責任者の「個」に基づいた、現場に「改善」と呼ばせる変化を進めていくことになります。大抵、こういった場合の自己否定の重要性は「失敗」した時にしか第三者は判定しにくいわけですが、当の本人は「改善していくことによって自分はリアルタイムで自己否定をしている」と思っているので、失敗した時のダメージが非常に大きくなります。その時に、より意思の疎通を図るために業者の選定を変え、実施します。業者にたいしては「自分にヒントを与えてくれる人」と思い接するのですが、期待が依存となり、それが要求になり当然となるケースがあります。で、部署変更があるまで冒頭を繰り返し、少しマーケティング分析するけど、やっぱりなんか違うと思い、そして・・・の繰り返しです

実はそのループを断ち切る情報としてマーケティングがあるんです。「状況を判定される」気持ちでマーケティングの情報を受け取ると都合の悪い情報しか得られません。

経験則がなかなかうまく続けられないのが学校広報。耳触りのよくないこの「マーケティング」にもうちょっと興味を持ってもらいたい。弊社はそんな会社になりたいです

 

 

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マーケティング分析

2015年3月4日

こんにちわ。遠距離通勤者です

 

今日は少し堅苦しいテーマです。

世の中、マーケティングの重要性が謳われていて、それに即したプロモーションを行いましょう、みたいなことを言うケースが多々あります

分析者が解析する様々な手法、手段は理論的な説明で、かつ象徴的な画像やグラフ等で表現され、それが受け手であるユーザー(学校)の広報担当者の心に響き渡ります

とはいえ、「マーケティング分析しなくてもあつまる学校」と「マーケティングして対策を取っても集まらない学校」があります。

特に後者の場合、マーケティング論者は「失敗した要因」「レアケースでの成功分析」みたいなことを考え、それを説明したりします。ただし、マーケティングって、失敗した際に、規模の小さい組織からすると、マーケティングで分析した結果が原因でないような気がするケースも多々。

 

マーケティングが軽んじられる問題の一つは、小組織の場合、丁寧なマーケティングを数年以上継続できないケースが多いからです。熟練の広報責任者の人生や仕事の経験則に基づいたプラン建がされるケースがあり、主にそれは過去の成功事例に裏付けされる部分が多く、その過去を発表することにより「周囲に同意を求める」「未来のプロジェクトを進行する」ことがあります。ただし、この進行の仕方には、責任者の「直感」に基づき変更される部分が多く、その正誤は周囲はわかりません。現場や業者と責任者の間での意思疎通がうまく行かなくなります。そういう方に対してなぜか意見のやり取りがスムーズにできる業者の担当者が出現すると、その業者は厚く重用されます。その時点でマーケティングによる分析を放棄して「責任者の経験値を上積み、裏付けをとり、更新していく」事を業者と進めるしかなくなります。この結果、学術的なマーケティングは否定され、責任者の「個」に基づいた、現場に「改善」と呼ばせる変化を進めていくことになります。大抵、こういった場合の自己否定の重要性は「失敗」した時にしか第三者は判定しにくいわけですが、当の本人は「改善していくことによって自分はリアルタイムで自己否定をしている」と思っているので、失敗した時のダメージが非常に大きくなります。その時に、より意思の疎通を図るために業者の選定を変え、実施します。業者にたいしては「自分にヒントを与えてくれる人」と思い接するのですが、期待が依存となり、それが要求になり当然となるケースがあります。で、部署変更があるまで冒頭を繰り返し、少しマーケティング分析するけど、やっぱりなんか違うと思い、そして・・・の繰り返しです

実はそのループを断ち切る情報としてマーケティングがあるんです。「状況を判定される」気持ちでマーケティングの情報を受け取ると都合の悪い情報しか得られません。

経験則がなかなかうまく続けられないのが学校広報。耳触りのよくないこの「マーケティング」にもうちょっと興味を持ってもらいたい。弊社はそんな会社になりたいです